水底に揺れる魚になりたかった。 けがれを知らずいたみを知らぬいきものになって、ずっと深いところへ沈んでしまいたかった。 そうしたらきっと、こんな感情も苦味も何も生まれずに、わたしは悠々と尾鰭をひるがえしていたにちがいない、のだ。



「あついっすね」
「だね、次屋、水分とらないと倒れるよ」
「だいじょうぶです。俺頑丈なんで」
飄々としていってのけた後輩は、手に持ったミネラルウォーターを一気に飲み干し、体操服の裾で汗をぬぐった。 わざわざ肩にかけてある、あのかわいいマネージャーが洗ってくれたであろう白いタオルは白いまま、まったく意味を成していない。 なぜ使わないのか、という野暮な質問はしなかった。そもそも、答えなど求めていないのだ。 背の高い金網に指を絡ませ、わたしは彼の、日に焼けた首筋をながめていた。
「先輩、勉強いいんすか」
「これ以上ないってくらいやってるよ」
「大変ですね、受験生は」
感情のこもっていないけだるげな声を投げかけるあいだ、次屋は一度もこちらをみなかった。 チームの皆が休憩しているさまを、ただぼんやりと見つめている。 彼らのあいだをせわしなく駆け回っているあのこの名はなんといったか、たしか顔に違わぬかわいらしい名前だった気がする。 意識的にそちらへ思考を傾けてしまう自分が憎い。 おたがいにひたすら黙り込んでいると、べこりという間の抜けた音とともに、次屋の手にあったペットボトルがゆがんだ。 わたしを見下ろす次屋の背は、またずいぶんと高くなってしまっていて、ふいに体のどこかしらがみにくくひきつるのを感じた。
「つぎ、や」
「名前で呼べばいいのに」
浅黒い次屋の表情は、感情を表さない。 反対に、わたしは笑顔をみせようとして失敗し、頬をひきつらせるだけでおわってしまった。 なんていびつな、そういえばさいきん、心の底から笑った記憶がない。
「先輩」
しっとりと汗の滲んだ指先が、フェンス越しにわたしの指を包んだ。 とっさに手を引こうとしたものの、予想以上に強く掴んではなさない。 いたいほどにまっすぐな瞳を見ていられなくなり、わたしは目を伏せうつむいた。
「」
「つぎや、いたいよ」
いたいといったのに、力はさらに増して、わたしは訳もわからぬまま無性に泣きたくなった。 熱はますますわたしを浮かせ、光は次屋の顔に影をつくる。 蝉の叫びに混じって、遠くで次屋を呼ぶ声がする。じっと視線をそらさないまま、ねえお前にはあの優しい声が聞こえないの。






金網に黙する




(09.07.24)(三匹の忍卵さまへ)