私はきっと、なにか得体の知れないおかしないきものであって、衝動をおさえきれないけものであって、周りと同じヒトなどではけっしてないのだと思った。 かいぶつと称するにふさわしい、みにくく矛盾をはらんだオスである。 聞くところによると、ヒトにはリセイなどという抑制装置がついているらしいじゃないか。 それくらいなら私もあるだろうと体中をくまなくさがしてみたけれども、まったくみあたらなかったよ。 すこししょんぼりしたけれど、まあしかたないな。私はヒトでないんだから。


いずれ私は、私に喰い殺されるにちがいない。私を喰い潰した私は私という殻をぬぎすて、野を駆け山を上り川を下って海に還る。 空になった肉体をそのままに、広い世界に目を向ける。その先になにがあるかなんて、知らないけれども。 ただ両の手が紅色に染まるたび、私の中の何かが欠落していくのは分かっていた。 いいやもしかしたら、あるいは、はじめからそこはぽっかりと空いてたのに、だれかが何かつめこんで立ち去ったのかもしれない。 だとしたらこれを喪失と呼ぶのはあまりに不恰好ではないか、とも思う。 なので私は、己のたいそう弱い頭をふりしぼって、これを破損と呼ぶに決めた。決めたところで、だれも喜ばないし褒めもしてくれない、とそこでようやく気付いた。


そうやってぶつりぶつりとやさしく噛み千切られていく私の肉体の破損が、きゅうにとまったのはいつのことだったか。 めいかくには思い描けない。それほど自然に、彼女というそん在はわたしの中に入り込んで、すべてを支配した。 不快ではなかった。むしろ、ある種の心地よさをかんじた。 なくしたくないと思った女ははじめてであったから、少々とまどいもあったけれども(だって私は飽きっぽいのだ)そのような無粋なことは考えないことにした。 私は彼女を好いていて、彼女はきっとそのおもいにこたえてくれるだろう。 それで、十分だった。そのはずだった。


そんな甘い幻想が打ち砕かれたのは、しょせんけものとヒトはあいいれないのだと、唐突に理解してしまったからだ。 きっと、おたがいに私たちは相手を、おしはかることができない。 この世のものと思えないほどやさしく触れているのに、彼女はすぐにぐらぐらとかたむいてしまうばかり、で、私にはその揺らぎをささえられない。 ともにたおれるか、一方的にたおすかのどちらかでしかなく、私はその選択に迷うことはなかったのだ。
「、……なあ、」
私はなるたけ声がうわずらないようにと気を配って、己のなかにひそむけものをおさえこんで、むりに笑顔をつくりだす。 口もとがみにくく歪んだらしいけれども、構っていられるような余裕などなかった。 ほんとうは、ぼろぼろの指先でも、たいせつな彼女が汚れてしまわないようにしたいとも思っている。 けれどもそんな配慮は、こんな状況を作り出してしまった以上、もはや意味をもたないのだから、だったら私の気のすむまでこのむすめをぐちゃぐちゃにはずかしめてやりたいなあ、などという考えも起きるのだ。 けがれは悪いことではなくて、ささいな通り道にすぎない。
「、きいてるか」
「っせん、ぱ、」
下を向いたまま、は涙をこぼして、なんで、なんでとつぶやいた。 地面にしみこんでいく液体は、さきほどの私のかものかも分からない白く濁ったそれと交わる。しみる。とける。 私のてのひらも、やはり同じように白濁した液体でべとりとよごれていた。 好奇心からそれをなめてすくってみると、苦くおかしなにおいがする。ああこれはきっと私のものだったにちがいない。なんともきたならしいものを口に含んでしまったものだ。 だってのそれはきっとボーロのように甘いにちがいないんだから。 少し機嫌をそこねた私は、彼女に遠慮をして微妙においていた距離を、それとなくつめてみた。 衣擦れのおと一つで肩をすくめるのちいさな体を腕の中にとじこめると、くぐもったこえとともにひじょうに弱いちからでおしかえされた。 この子は私のことをなにと思っているのだろうか、こんな抵抗で俺をどうにかできるとでも?それともわざとあおっているのかも。とそれを思うとまた体の中心にくすぶっていた火が、ふたたび盛んに燃え始めたように感じられた。 おとこのゆいいつ誇る点といえば、体が素直なところ、これにつきる。そしてなにより、性差というもので力がまさる。
「や、だ、ななまつせんぱい、」
このよわくてあわれな動物がとてもいとしい。気の済むまで組み敷いてしまいたい。おまえをあいしているよ。 かおもかわいいし、細いくせにやわらかいからだとか、およそ忍には向かないようなやさしい性格とか。どんくさいのはたまにいらいらするけども、そういうところも気に入ってる。 たいせつにしてやりたいって思うよ。なあうそだなんておもわないでくれ。
「っや、ぁっあ」
左手でせまい背中をささえながら、さっきも慣らしたからまあいいかと軽い気持ちで自身を押し込むと、存外すんなりと受け入れられた。 二人分の体重がかかった壁のつちが、ぱらぱらとこぼれた。
「せんぱ、せんぱいぃ」
「んん?」
「ぃたい、」
「うんだってそういうふうにしてるんだもん」
閉じようともがく白いあしをむりにおおきくひらかせると、けんめいに首をふった。根元からもげてしまうのでは、とそればかりが心配になった。
「っだ、やだ、っぅく、やだ」
「どうして?」
わたしはむずむずと急かすうずきから意識をそらして、にたずねた。すると彼女はなにもいわないで、ただ真っ赤になったひとみで私を見上げ、ぎゅうと眉をよせた。 その表情の意図にきづき、私はまたなんだか胸のあたりがむかむかしてしょうがなくなって、なんなんだよ、とひくくうなった。 どうして、とたずねた私がまるでばかのようだ。ばかなのはおまえだろうに。 そのわたしの牽制に身を縮めるすがたは、さらに劣情をくすぐって、なんだこのおんなじつはやることやってんじゃねーの、男のツボとかさ、知ってんじゃないかとか、ひどく乱暴な気持ちになって見下ろしていると、くろいびいどろみたいな瞳に映る自分があんまりにつめたい顔をしているもんだから、こちらが驚いた。 ぼろぼろと涙をこぼすのうるんだ目が下半身にずんと重くのしかかったから、私は舌をのばしてつるつるしたその表面をぬぐう。 細い肩がとびはね、またいたいいたいと泣き出す。この一連の繰り返しすら、不毛な行為のようにおもわれた。 きっと、このまじわりもだ。
「っすき、だったのに」
のやわらかな髪は、月の光に反射してうつくしく波打っている。私は急に怠惰な気持ちになって、汚れた指でその一房を掬う。 意識を飛ばした彼女の目元は赤くはれ上がって、喉がくるしげにひゅうひゅうと音を立てている。胸が頻繁に上下する。わたしは心臓に耳を寄せて、きちんと命をたもっているか確かめる。 すきすきあいしてる。いつまでもあいしてる。何故だか分からないけども、私は思い切り泣いてしまいたかった。 肉体のはそ、ん?ちがう、きっと感情のはそん、だった。やさしくしてやりたいみまもってやりたいだきしめたいあいしたいしあいされたい。 そう思ってもやっぱり私はかいぶつだから、そんな願い聞き届けられるはずもなかった。
「すきだよ」
ちいさく痙攣する身体に覆いかぶさって漏らすからっぽな言葉は繰り返されて、きっとあしたもからっぽなままだ。





消滅前夜



(10.03.25)