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はちやくんが苦手だ。
ふわくんと同じ顔をして同じ笑顔をみせることだってできるのに、腹のそこでなにをかんがえているの分からない。
そんなのだれだって分かんないだろうよ、といわれたらそれまでなのだけれども、そういう意味じゃないのだ。
例えるなら、得体の知れないいきもの、奥の深いなにか……ってそこまでいうとしつれいか。
ともかくわたしは彼がおそらく本能的な部分をもって苦手で、たびたびふわくんとコンビ(プラスしてハチのトリオ)で歩いているところに出会って会話をすることもあるけれども、できることならかかわりたくないなあとも思っていた。
「よお」
「……こんにちは」
すうと目をほそめて口元をつりあげる、そんな笑い方をするのははちやくんだ。
そばにふわくんやハチがいないのをみると、どうやら一人らしい。
廊下で会うときはだいたい3人かたまっていることが多いので、めずらしいなあ、と思っていると、はちやくんはポケットにいれていた手をぬいた。
「ん」
「……ん?」
こぶしをにぎって宙に浮かせたまま、手をだすよう指示される。
指示されるがままに両手をさしだすと、ころんとてのひらの上をかわいらしい包装紙に包まれたものがふたつほどころがった。
「あめ?」
「やる」
「おおぉ……あ、ありがと」
おもわず感嘆のこえを上げて、たどたどしくもお礼を述べると気にすんなという。
前言撤回、はちやくんはいいやつだ。ゲンキンなやつといわれたってかまわない。おんなのこはたいてい甘いものがすきだときまっているんだから。
こころをときめかせながら、手の中の飴玉をみつめていると、くわねぇの?と聞かれる。
「ええと、じゃあ、もらいます」
一つをカーディガンのポケットにつっこんで、もう一つを口の中にほうりこんだ。
とたん、甘い味がいっぱいにひろがる。それだけでしあわせな気分になるわたしって、おめでたいのかな。
じっとみられていることに気付いて、感想を申す。
「おいひい、れふ」
「そうかそうか。じゃあ、ちょっとオレに付き合え」
「へ?」
聞き返すまえに腕をがっしりと掴まれ、わたしは口をもごもごさせながらはちやくんを見上げた。
はちやくんはいつものような余裕のえがおをみせて、
「アメやったんだから、文句いうなよ」
とのたまった。……さらに前言撤回。はちやくんはいやなやつだ。
そもそも、あめで釣るなんてどこの変態なおっさんだ。そしてそれに釣られたわたしは近所の小学生以下だ。
……けっきょく釣られたわたしがわるいのか……。
がっくりと肩をおとして、導かれるまま廊下を抜けていく。
何人かの生徒が好奇の目でわたしたちをみつめるのがいやでしかたない。
「どこいくの」
はちやくんは何もいわないで人差し指を上にかかげた。
わたしはつられて上をむいて、なんとなく予想がついた。
屋上は生徒立ち入り禁止区域である。
その証拠に、屋上へつづく階段は一本のロープで封鎖されていて、いつも鍵はしまっている。
けれどもはちやくんは気にすることなく、ポケットから、合鍵なのか、職員室からくすねてきたのか、どちらかは分からないけれど、ともかくそれをとりだして、かちゃりと開けた。
わたしはひらかれたドアからさしこむ光に目をほそめながら、彼のあとにつづいた。
校則をやぶってしまっているという罪悪感めいたものより、高揚感のほうがまさっていたから。
「いー天気だなあ」
はちやくんはひとりごとをぼやいて、おおきくのびをした。
わたしはドアを慎重にしめて、高校入学以来初めてみた屋上に目を向けた。
べつだん何も変わったところはないけれども、空が、いつも窓から眺めているときよりぐっと近く感じる。
鳥がおおきく旋回して、ずっと遠くへ飛んでいくのをみた。
「」
「ん、ああ、はい」
はっと気付いて視線をはちやくんにもどすと、彼はフェンスにもたれて手招きした。
おとなしくそちらに向かって、彼の目の前にたつ。
はちやくんはすでにあの笑みをやめていて、曇ったガラスのような瞳でわたしを見下ろした。
彼のこの表情が、わたしは苦手だ。
みんなで会話しているときも、はちやくんはたびたびふっとこういう目をしてわたしをみる。
そうすると、わたしはどうにも落ち着かなくなるのだ。ずっと奥底がみすかされているようで、こわかった。
「は、ちやくん、なにかいいたいことあるの」
「なんでそう思う」
「そんな顔してるから」
はちやくんはうつむいてくつくつとわらった。あまり不快にならないのは、そこに他意がないからだろうか。
ふらっと彼の隣にいき、高いフェンスに指を絡ませる。
「、オレはお前をつまんないやつだと思ってたよ」
「……まあ、そのとおりですけど」
「すねるなすねるな」
頭をしっちゃかめっちゃかに撫で回され、せっかくきれいに梳いてきた髪は寝起きよりもはげしい状態となった。
むっとしつつそれをいそいそと直していると、はちやくんはその場にすわりこんで、己の髪をかきまわした。
栗色のそれは日光に照らされて金色にちかいかがやきを放っている。
思わず見とれていると、うかがうようにして上げられた視線とばっちり合った。
「……で、はちやくん。何か用ですか」
「あー……お前なんで敬語つかうの」
「…男の子が苦手なもので」
「っつーかオレだろ」
背中がひやりと凍った。だまりこくると、はちやくんはしずかにわらった。
「おっかしいなー。オレ、女ウケはいいんだけど」
「……べつに、そんなんじゃ」
「見てりゃわかるよ」
わたしは気まずくなって視線をそらした。ふいに吹いたかぜが髪をさらって視界をさえぎる。
それを手でおさえながら、はちやくんは、これをいいたいがためだけにわたしをここへ連れてきたのだろうかとわたしは考えた。
まさか、それほどにわたしの態度はあからさまだったのか。
なんにしろ彼を不快な気持ちにさせてしまったのだから、謝るべきなのか、どうだろう。
ああ、こういうときの対処法がまるでわからない。
ぐるぐると頭を悩ませていると、ふいに隣がふきだした。
「……はちやくん?」
「べつにオレはそれがいいたいんじゃなくってな」
「はあ」
だったらはじめから本題へいけばいいのに、よくわからない回り道をするひとだ。
とわたしが不満そうにしていたせいか、はちやくんはもうわらわなかった。
「つまらないな」
「……さっきもききましたけど」
「お前、この世のすべてがつまらないって顔してるな」
いっしゅん息がとまった。
わたしはこくりと喉をならして、口の端をつよくむすんだ。
「出会ったときから、なんか引っかかってた」
「……だったら、なんだって」
はちやくんを視界に入れないようにして、わたしはつぶやいた。
「なんだって、いうの。はちやくんは、」
「オレと似てるな、って思った」
瞼の裏に明瞭に描き出された影が、こびりついて消えない。
ついさいきん、おなじことをいったひとをわたしは知っている。
彼はきっといまごろ、教室のあの席で、またいつものように外を眺めているんだろう。
(09.04.06)