淀んで沈殿した感情も、醜く萎んでいく表情も、ぜんぶぜんぶオレのものにしたい。 そうしたらきっと、この有耶無耶で不可解な気持ちも理解できるようになるだろう、と、そう思った。それだけだった。



「…はちや、くん」
暫し絶句していたは、ようやく言葉を搾り出しはしたが、やはり頭はおっつかぬようで、怒りか羞恥か判別できぬほど顔を真っ赤にさせながら、視線を忙しなくさまよわせる。 握り締めた拳はふるえていて、ああ、怒っているのだなあ、とうすぼんやりとした霧のような感想を抱く。 これを他人事のように考えてしまうのは、オレの中に罪悪感のかけらも見当たらなかったからだ。きっとこの状況を楽しんでいる。 なんとまあ性格の悪いことだろうか、オレ。
「いいじゃん、べつに。お試しみたいな感じでさあ、付き合うってのも、悪くない」
こいつにはそういった経験がないのだろう、とオレは踏んでいた。そしておそらくそのとおりだったにちがいない。 耳にまで熱が伝染しているのが見て取れて、オレはこそりと笑いをもらした。ああ、まったくあさはかなおんなだ。 この女の感情は、すべて一人の男に向けられているのだと知っていて、その逆もまた同様なのだと知っていた。 ただ片方はうすうすその思いに気づいていただろうに、あえて目を背け、もう片方は未だ気づかないまま、のうのうと己の世界にひたっている。 傍から見たら丸分かり、お前らはただの阿呆だとしか言いようがないのだが、そしてつい最近までのオレなら、暇つぶしにお互いをけしかけ、うまくくっつけてやって、かつ冷やかし、といったルートをたどっていたにちがいない。 それをしなかったのは、何故だか分からんが、この二人が並ぶところを見るとむしょうに胸がざわつくことを知ったからだった。 ただ感情に身を任せて生きることも、悪くはないと思う。だからお前も、そんなふうに難しく考えなければいいのだと言ってやりたかった。 たしかにオレは皆より一歩引いて物事を眺める傾向にあるけども、何もかもを湾曲して思索することは好きではない。ひねくれては、いるけれど。
「それにお前、久々知のこと好きなわけでもないんだろ。あいつだってさあ」
ああ、オレ今すごいひどいこと言ったと思う。 そう自覚はあっても訂正や侘びをしないのは、一度吐き出された言葉が盆にかえることはないと知っているからだ。 かすかに表情を強張らせたは、すぐにまた視線を下に向けて、細い声でそう、だねとつぶやいた。
「もう、いいや。わたし鉢屋くんのこと嫌いじゃないから」
「そうか」
「じゃあよろしく、三郎くん」
「んー……ん、ん?」
思わずの顔を凝視してしまう。一転彼女は平時と変わらない顔で、どうしたのと尋ねてくる。
「名前」
「え、……ああ……だって彼女なのに名字は変かなって。嫌だった?」
「べ、つに」
「そう」
あっさりと返し、教室に戻るよう催促してくるこの女の考えていることがまた分からなくなった。 存外気にしない性質なのか、もしくは感情を押し殺しているのか……どちらも、かもしれないなとオレは考えながら一歩足を踏み出す。





(10.03.26)()