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たびたび瞼の裏に描き出される、珍妙かつ不可解なそれを明瞭になぞらえる術はあるのだろうか。
わたしはできるだけゆっくりと光を照らしていこうとするのだけども、どこか曖昧な線がまるで嘲笑うかのように明確な形を失わせる。
わたしは酷く残念に思う。もっとその核に触れてみたいとさえ思う。ただ同時に、例えようの無い安堵感にさえ包まれるのだった。
「おい」
聞きなれた声と共に、ぐ、と腕を強く引かれ、わたしは後ろに大きくよろめいてそちらを振り返った。面長の頬に一筋の汗が流れ落ちていくのを見た。
「何やってんの」
その無感動な声を耳にして、わたしは生ぬるい風を受ける身体をちいさく震わせた。喉の奥がからからにかわいている。
「べつ、に」
「ああ、そう」
引かれたときと同じくらいの強さで払い除けられたので、また危うく一歩を踏み出しかけたが、大きく目を見開いた三郎の大きなてのひらが、素早くわたしの手首をさらった。
やけどをしてしまいそうなほど熱い指が、じっとりと湿った手が、何もかもを諭しているような気がして、わたしは照る太陽の下、地面を睨みつける。
アスファルトからたちのぼる熱気は、感覚も思考も不要とでも言わんばかりにじわりと這い上がる。
「べつに、お前がここから飛び降りても俺はなんとも思わないけど」
肩で息をしながら、彼は囁くように言った。
「最期に全校生徒に晒す自分がぐちゃぐちゃ死体っていうのは、どうなんだ」
それを聞いてわたしは思わず笑ってしまいそうになったけれども、ぴくりとも眉を動かさない彼の表情をみとめて、口の端をむすんだ。
「それはいや、かも」
「そうだろう。どうせしぬのなら、そうだな、眠るようにしぬのがいい。薬とか、一酸化炭素とか」
わたしの訝しげな視線を受け止め、彼は声低く笑った。ふだんからつかみ所の見当たらない彼に、あまりにふさわしい笑みである。
「ただし、俺の目の届く範囲でしぬなよ。そうしたらお前をぶん殴る」
「……そんなむちゃくちゃな。だいたい、死体を殴ったってどうしようもないでしょう」
「しなせてやるものか」
口元を薄く引きのばして、それは楽しそうに言った。
「けっして一人でしなせてやらない。逝くのなら俺と仲良くな。でも俺はぜったいにしなないから、お前もしなない」
「は、あ?」
「少なくとも、今後70年間くらいは」
90歳近くまでは生きるつもりなのね、と聞こえない程の声で呟いた。
「なにそれ。いつまでわたしといる気なの」
「さあな。一生とでも言っておくか」
わたしは笑いを通り越してまったく呆れてしまった。そうすると自分がコンクリートの途切れる先ぎりぎりに立っているのもばからしく感じられてきて、大人しく導かれるまま大きな背を追う。
風にはためく白いシャツが、眩しく目を射た。
「わたしと一生いっしょにいるって言うの?老後の面倒まで?」
そう言って茶化せば、
「どうせお前が生まれてから今までもずっと面倒見てきたんだ。介護だろうが一緒さ」
浮かべられた案外真面目な表情と、きつく握りしめられたてのひらが、わたしの中にあるなけなしの茶目っ気を跡形もなくかき消してしまった。
小さな声で彼の名を呼ぶ。
濁りを帯びた茶の瞳は、迫る暗闇を映し出すのに、わたしの瞼に絶えず張り付いていたあの影はどこにも見当たらなかった。
(09.03.06)